歴史人をキャリア理論で読み解く|吉屋信子①

自ら人生をデザインしたプロティアンな輝き

吉屋信子って?

1896-1973を生きた小説家。栃木高等女学校在学中より少女雑誌に「鳴らずの太鼓」など、短歌や物語を投稿。卒業後、1916(大正5)年から少女画報に採用された「花物語」は多くの読者の心を掴む。1920(大正9)年には長編「地の果まで」が大阪朝日新聞に連載され、文壇を沸かした。1936(昭和11)年に東京日日新聞や大阪毎日新聞の連載小説「良人の貞操」で男性の貞操をテーマに議論を巻き起こし、家庭小説の分野でも注目を集め、代表作の一つとなった。戦時中は従軍文士として中国などを訪問し、ルポルタージュを発表。戦後は「鬼火(1952)」で女流文学者賞を受賞し、晩年には「徳川の夫人た」「女人平家」など女性史を題材とした歴史小説を執筆。キリスト教的理想主義と清純な感傷性を基調とした作風で、女性読者の絶大な支持を得た。没後は邸宅が鎌倉市に寄贈され「吉屋信子記念館」として公開されている。
吉屋信子 Nobuko Yoshiya 新潟県出身 1896-1973
@いらすとすてーしょん

大正から昭和初期にかけて、日本の女性たちの人生には、ある「見えないレール」が敷かれていました。良い学校を卒業し、良縁に恵まれ、結婚して家庭を守る。

「良妻賢母」

それが当時、多くの女性にとっての理想像であり、社会が求める「正解」でもありました。

しかし、その時代にあって、自らペンを手に取り、自ら生活を築き、自ら人生を選び取った女性がいました。

文学家・吉屋信子です。

1896(明治29)年、新潟県に生まれた信子は、少女時代から物語を書くことに夢中でした。栃木高等女学校在学中には、少女雑誌へ短歌や小説を投稿し、早くから創作の才能を発揮します。卒業後、少女雑誌『少女画報』に掲載された『花物語』は、多くの少女たちの心を掴み、一躍人気作家となりました。当時の少女たちは、信子の作品の中に、自分たちの言葉にならない憧れや感情を見出していたのです。

やがて彼女は、『地の果まで』『良人の貞操』といった作品で活躍の場を広げ、時代を代表する人気作家へと成長していきます。しかし、信子の本当の凄さは、ベストセラー作家になったことだけではありません。

当時の女性にとって、経済的に自立し、生涯にわたり自分の力で生計を立てることは決して容易なことではありませんでした。ましてや、「結婚して家庭に入る」という社会の期待から距離を置き、自ら選んだ人生を歩むことは大きな覚悟を必要としました。それでも信子は、自分の書きたいものを書き続けました。

自分が大切だと思う価値観を守り続け、そして、生涯のパートナーであった門馬千代とともに、自らの生活を築いていったのです。

背景の理論

ホールの「プロティアン・キャリア」

そんな吉屋信子の姿を見ていると、現代のキャリア理論家ダグラス・T・ホールの提唱した「プロティアン・キャリア」を思い出します。プロティアンとは、ギリシャ神話に登場する海の神プロテウスに由来する言葉です。プロテウスは、環境に応じて自由自在に姿を変えることができたとされています。

ホールはその神話になぞらえ、これからのキャリアとは、

「組織や社会が決めるものではなく、自分自身が主体的に形づくっていくもの」

だと考えました。

かつてのキャリアの成功とは、高い地位に就くことや、多くの収入を得ること、そして社会的評価を受けることによって測られていました。

ホールは、こうした成功を「外的成功(External Success)」と呼びました。しかしホールは問いかけます。

たとえ周囲から成功者に見えても、本人が苦しみながら生きていたら、 それは本当に成功と言えるのだろうか、と。

反対に、大きな肩書きや名誉がなくても、自分らしく生きている、成長を実感できている、その生き方に納得しているのであれば、その人は十分に成功しているのではないか。ホールはそう考えました。

そこでホールは、キャリアのゴールを

「自分が納得し、意味を感じながら生きている状態」

へと置き直します。

これをホールは、心理的成功(Psychological Success)と呼びました。

つまりプロティアン・キャリアとは、組織や社会が用意した成功の基準ではなく、自分自身の価値観を拠り所にしながら、変化する環境の中で、主体的にキャリアを築いていく生き方です。

ホールは、これからの時代に必要なのは、肩書や地位ではなく、「自分にとっての成功とは何か」を問い続ける力だと考えたのです。

吉屋信子とプロティアン・キャリア

もし吉屋信子が、時代の常識だけに従っていたなら、どうなっていたでしょう。人気作家になることはなかったかもしれません。数多くの女性たちの心を支える作品も、生まれなかったかもしれません。

けれど信子は、社会が決めた成功ではなく、自分の心が納得する人生を選び続けました。これはまさに、ホールのいう「心理的成功」を生きた姿そのものです。信子にとって重要だったのは、「人からどう見られるか」ではなく、「自分がどう生きたいか」でした。

それは、当時の女性たちに求められていた「良妻賢母」という社会的成功よりも、自分自身が納得できる人生を選ぶ、心理的成功への挑戦だったとも言えるでしょう。

さらに信子は、少女小説の作家として成功した後も、そこで立ち止まりませんでした。

新聞連載小説へ。
家庭小説へ。
そして後年には歴史小説へ。

時代や環境の変化に合わせながら、自らの表現を更新し続けました。そこには、揺るがない自分軸と、変化を恐れない適応力がありました。ホールが語ったプロティアン・キャリアとは、単に転職を繰り返すことでも、自由気ままに生きることでもありません。自分の価値観を持ちながら、変化する環境の中で、自分自身を成長させ続けること。

吉屋信子は、その姿を一世紀近く前に体現していたのです。

Take Home Message

時代が求める「正解」が、あなたにとっての正解とは限りません。

本当のキャリアとは、誰かに与えられるものではなく、自分自身で意味を与えていくものです。周囲の評価や肩書よりも、あなたは何を大切にしたいのか。 どんな人生に納得したいのか。

その問いに向き合うことから、 あなただけのキャリアは始まります。

吉屋信子がそうであったように、人生は与えられるものではなく、自らの手で編んでいくものなのです。

次回は

華やかな成功を収めた吉屋信子。

しかし、その道のりは決して順風満帆ではありませんでした。女性読者から絶大な支持を受ける一方で、 男性中心の文壇からは「通俗的」と批判される。さらに時代は戦争へと向かい、 彼女にも大きな選択が迫られます。

次回、「影と波 ― 文壇の蔑視と、戦争という抗えない大波」と題して、ニコルソンのキャリア・トランジション理論を手がかりに、 吉屋信子が経験した葛藤と適応を読み解いていきます。

May 2022~

HCC Japan LLC

CEO

April 2023~

Waseda University in School of Human Sciences (e-school)

Human Informatics and Cognitive Sciences

March 1996

Tokyo University Of Agriculture in Faculty of Bioindustry

April 1996〜March 2022

Eli Lilly Japan K.K. 

Sales & Marketing
Sales Manager
Sales Operator

October 2023~February 2025

Waseda University Senior High School

Teaching Assistant (Information Technology)

April 2025~ July 2025

Waseda University School of Human Sciences

Teaching Assistant (Collaborative Learning and the Learning Sciences)

Certified
National Licensed Career Consultant, 25072525
Medical Management Specialist, Third Grade, 31310119010282

会社概要
-COMPANY PROFILE-

自分だけの価値観で、豊かな人生をデザインする。

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