歴史人をキャリア理論で読み解く|吉屋信子①

自分の人生を編み続けた
プロティアンな文学 吉屋信子
自分の人生を編み続けたプロティアンな文学家 吉屋信子
歴史人をキャリア理論で読み解くって
歴史に名を残した人々も、私たちと同じように悩み、迷い、そして選択しながら人生を歩んでいました。このシリーズでは、キャリア理論というレンズを通して、歴史人の人生を読み解きます。
過去の人物を知ることは、未来の自分を知ること。彼ら、彼女たちの生き方の中には、今を生きる私たちのキャリアや人生を考えるヒントが、数多く隠されています。
文学家・吉屋信子
最初に読み解く歴史人は、全4回でお届けする「文学家・吉屋信子」。
ペン一本で自立し、時代の常識に流されることなく、自らの人生をデザインした小説家です。女性が自分らしく生きることが難しかった時代に、信念と才能を武器に道を切り拓き、多くの女性たちの心に寄り添い続けました。
なぜ吉屋信子は、世間の「正解」ではなく、自らの価値観を選び続けることができたのでしょうか。そして、評価や時代の波に揺れながらも、自分自身の人生を編み続けることができたのでしょうか。
その人生を、キャリア理論の視点から読み解いていきます。
ご案内
本シリーズは、歴史人の生涯を、キャリア理論というレンズを通して見つめ直す試みです。人物の生き方や理論との結びつきについては、HCCジャパン合同会社による独自の視点と考察を含みます。
また本企画は、歴史人物や文学家の魅力を発信する「いらすとすてーしょん」とのコラボレーション企画としてお届けします。
第1回
光
自ら人生をデザインしたプロティアンな輝き
01
吉屋信子って?

@いらすとすてーしょん
大正から昭和初期にかけて、日本の女性たちの人生には、ある「見えないレール」が敷かれていました。良い学校を卒業し、良縁に恵まれ、結婚して家庭を守る。
「良妻賢母」
それが当時、多くの女性にとっての理想像であり、社会が求める「正解」でもありました。
しかし、その時代にあって、自らペンを手に取り、自ら生活を築き、自ら人生を選び取った女性がいました。
文学家・吉屋信子です。
1896(明治29)年、新潟県に生まれた信子は、少女時代から物語を書くことに夢中でした。栃木高等女学校在学中には、少女雑誌へ短歌や小説を投稿し、早くから創作の才能を発揮します。卒業後、少女雑誌『少女画報』に掲載された『花物語』は、多くの少女たちの心を掴み、一躍人気作家となりました。当時の少女たちは、信子の作品の中に、自分たちの言葉にならない憧れや感情を見出していたのです。
やがて彼女は、『地の果まで』『良人の貞操』といった作品で活躍の場を広げ、時代を代表する人気作家へと成長していきます。しかし、信子の本当の凄さは、ベストセラー作家になったことだけではありません。
当時の女性にとって、経済的に自立し、生涯にわたり自分の力で生計を立てることは決して容易なことではありませんでした。ましてや、「結婚して家庭に入る」という社会の期待から距離を置き、自ら選んだ人生を歩むことは大きな覚悟を必要としました。それでも信子は、自分の書きたいものを書き続けました。
自分が大切だと思う価値観を守り続け、そして、生涯のパートナーであった門馬千代とともに、自らの生活を築いていったのです。
02
背景の理論
ホールの「プロティアン・キャリア」
そんな吉屋信子の姿を見ていると、現代のキャリア理論家ダグラス・T・ホールの提唱した「プロティアン・キャリア」を思い出します。プロティアンとは、ギリシャ神話に登場する海の神プロテウスに由来する言葉です。プロテウスは、環境に応じて自由自在に姿を変えることができたとされています。
ホールはその神話になぞらえ、これからのキャリアとは、
「組織や社会が決めるものではなく、自分自身が主体的に形づくっていくもの」
だと考えました。
かつてのキャリアの成功とは、高い地位に就くことや、多くの収入を得ること、そして社会的評価を受けることによって測られていました。
ホールは、こうした成功を「外的成功(External Success)」と呼びました。しかしホールは問いかけます。
たとえ周囲から成功者に見えても、本人が苦しみながら生きていたら、 それは本当に成功と言えるのだろうか、と。
反対に、大きな肩書きや名誉がなくても、自分らしく生きている、成長を実感できている、その生き方に納得しているのであれば、その人は十分に成功しているのではないか。ホールはそう考えました。
そこでホールは、キャリアのゴールを
「自分が納得し、意味を感じながら生きている状態」
へと置き直します。
これをホールは、心理的成功(Psychological Success)と呼びました。
つまりプロティアン・キャリアとは、組織や社会が用意した成功の基準ではなく、自分自身の価値観を拠り所にしながら、変化する環境の中で、主体的にキャリアを築いていく生き方です。
ホールは、これからの時代に必要なのは、肩書や地位ではなく、「自分にとっての成功とは何か」を問い続ける力だと考えたのです。
03
吉屋信子とプロティアン・キャリア
もし吉屋信子が、時代の常識だけに従っていたなら、どうなっていたでしょう。人気作家になることはなかったかもしれません。数多くの女性たちの心を支える作品も、生まれなかったかもしれません。
けれど信子は、社会が決めた成功ではなく、自分の心が納得する人生を選び続けました。これはまさに、ホールのいう「心理的成功」を生きた姿そのものです。信子にとって重要だったのは、「人からどう見られるか」ではなく、「自分がどう生きたいか」でした。
それは、当時の女性たちに求められていた「良妻賢母」という社会的成功よりも、自分自身が納得できる人生を選ぶ、心理的成功への挑戦だったとも言えるでしょう。
さらに信子は、少女小説の作家として成功した後も、そこで立ち止まりませんでした。
新聞連載小説へ。
家庭小説へ。
そして後年には歴史小説へ。
時代や環境の変化に合わせながら、自らの表現を更新し続けました。そこには、揺るがない自分軸と、変化を恐れない適応力がありました。ホールが語ったプロティアン・キャリアとは、単に転職を繰り返すことでも、自由気ままに生きることでもありません。自分の価値観を持ちながら、変化する環境の中で、自分自身を成長させ続けること。
吉屋信子は、その姿を一世紀近く前に体現していたのです。
04
Take Home Message
時代が求める「正解」が、あなたにとっての正解とは限りません。
本当のキャリアとは、誰かに与えられるものではなく、自分自身で意味を与えていくものです。周囲の評価や肩書よりも、あなたは何を大切にしたいのか。 どんな人生に納得したいのか。
その問いに向き合うことから、 あなただけのキャリアは始まります。
吉屋信子がそうであったように、人生は与えられるものではなく、自らの手で編んでいくものなのです。
05
次回は
華やかな成功を収めた吉屋信子。
しかし、その道のりは決して順風満帆ではありませんでした。女性読者から絶大な支持を受ける一方で、 男性中心の文壇からは「通俗的」と批判される。さらに時代は戦争へと向かい、 彼女にも大きな選択が迫られます。
次回、「影と波 ― 文壇の蔑視と、戦争という抗えない大波」と題して、ニコルソンのキャリア・トランジション理論を手がかりに、 吉屋信子が経験した葛藤と適応を読み解いていきます。
この記事を書いた人
HCC Japan LLC
CEO
Waseda University in School of Human Sciences (e-school)
Human Informatics and Cognitive Sciences
Tokyo University Of Agriculture in Faculty of Bioindustry
Eli Lilly Japan K.K.
Sales & Marketing
Sales Manager
Sales Operator
Waseda University Senior High School
Teaching Assistant (Information Technology)
Waseda University School of Human Sciences
Teaching Assistant (Collaborative Learning and the Learning Sciences)
Certified
National Licensed Career Consultant, 25072525
Medical Management Specialist, Third Grade, 31310119010282
会社概要
-COMPANY PROFILE-
自分だけの価値観で、豊かな人生をデザインする。
もっと自分らしく生きたい!そう思える社会、そしてより多くの人々が自分自身の人生と向き合い、より豊かな人生を送るきっかけつくりをHCCジャパンはお手伝いします。
HCCジャパン合同会社


