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転機とキャリア.3<タナカさんの物語③>

前回、シュロスバーグの「4S」で装備を点検し、若手リーダーという心強い味方(Support)を得たタナカさん。現場とデジタルの架け橋として、いよいよ実働し始めました。
しかし、現場に足を運び、デジタルの会議に参加し続ける中で、タナカさんの心には新たなモヤモヤが生じているようです。
自分を変えるか、役割を変えるか

「若手のやり方を学び、周囲に合わせる努力はしている。でも、どこか無理をしている自分がいる。これまでの22年の経験を押し殺して、ただの『物分かりの良い新人おじさん』として振る舞うことが、本当に自分らしい適応なのだろうか?」
タナカさんには、モヤモヤ感が広がっています。これは、変化の荒波を乗り越えようとする誰もが突き当たる「適応」のジレンマ※です。自分を環境に合わせるのか、それとも環境を自分らしく変えるのか。この問いに答えを出し、納得感のある居場所を確立するために、ニコルソンの「4つの適応モード」から、次なる航海図を手に入れます。
※板挟みになって動けなくなり、困った状況
板挟みを乗り越える
タナカさんが直面しているのは、まさに「適応」のジレンマ(板挟み)です。周りに染まりすぎれば「自分」が消えてしまい、自分を押し通しすぎれば「居場所」を失う。この不自由な状況を打破するために、ニコルソンの理論を用います。
そのニコルソンは、新しい役割への適応のしかたを、「自分自身をどれだけ変えるか(個人の発達)」と「役割をどれだけ自分に合わせて変えるか(役割の発達)」の2つの軸で、4つに分類しました。タナカさんの現在地と、目指すべき適応のかたちを整理してみましょう。
| 適応モード | 個人の発達 × 役割の発達 | 内容 | タナカさんのイメージ |
|---|---|---|---|
| 吸収(Absorption) | 高 × 低 | 役割はそのまま受け入れ、自分を役割に合わせて変える。 | 「新人おじさん」として、若手の指示に100%従う。今のタナカさんが必死に「新人」になりきろうとしている状態。 |
| 再現(Replication) | 低 × 低 | 自分も役割も変えず、以前のやり方で対応する。 | 以前の部署のやり方を頑なに貫こうとする。 |
| 探索(Exploration) | 高 × 高 | 自分も学び変わりながら、役割も新しく作り出す。 | ITを学びつつ、自分にしかできない新しい役割を作る。 |
| 決定(Determination) | 低 × 高 | 自分は変えず、役割のほうを自分流に作り変える。 | デジタルは覚えず、現場調整だけで成果を出そうとする。 |
「吸収」から「探索」へ

今のタナカさんは、「吸収」つまり「役割への没入」に全力を注いでいました。自分を捨ててでも新しい役割に同一化しようとした結果、心が悲鳴を上げたのです。
そこで、一旦アクセルを緩め、一歩引いて状況を観察する時間をとることを提案します。目指すのは、ニコルソンの言う「探索(Exploration)」――自分も学び変わりながら、同時に役割そのものも自分の持ち味に合わせて作り変えていく適応のかたちです。観察の時間は、そこに至るための準備です。
なぜ「必死に合わせる」のをやめるべきなのか?
多くの人が、新しい環境では「早く戦力にならなければ」と吸収(Absorption)を急ぎます。しかし、タナカさんのように経験を活かす余地のある役割で、自分を消して環境に染まりすぎると、次の2つのリスクが生じることがあります(このリスクの整理は、筆者による解釈です)。
- バーンアウト(燃え尽き)
自分らしさを抑え続けることで心理的エネルギーが枯渇する。 - オリジナリティーの喪失
周囲と同じ色に染まりきることで、 これまでのキャリアで磨き上げてきた「独自の視点」や「現場感覚」といった唯一無二の価値が消えてしまう。
あえて環境に合わせる行動を控え、状況をじっくりと観察し、自己変容の好機をうかがいながら「新たな貢献」を見つけ出す。それは、「組織が抱える課題」と「自分のオリジナリティー」が交差するポイントを見極めるための、高度な戦略的準備なのです。
ニコルソンの理論では、どの適応モードが望ましいかは、役割の性質(裁量の大きさや新しさ)とその人の特性によって変わります。タナカさんの場合は、現場との橋渡しを任される裁量があったからこそ、「吸収」だけにとどまらず「探索」へ進む余地がありました。
戦略的準備の先にあるものは
自分を環境に合わせようと必死になり、「新人おじさん」としての存在にモヤモヤしていたタナカさんは、あえて一歩引いて、周囲を観察する時間を持つ決断をしました。そこで冷静に周囲を観察して見えてきたのは、若手たちが気づいていない、しかし組織にとって致命的な「ミッシングピース(欠けている欠片)」でした。
観察から導き出したタナカさんの戦略
- 見えてきた「ミッシングピース」
若手リーダーたちは「最高のシステム」を作ることに長けていましたが、現場の職人たちが抱く「自分たちの仕事が機械に奪われるのではないか」という心理的な抵抗や不安にまでは、想像が及んでいませんでした。 - タナカさんにしかできない「役割の再定義」
タナカさんは、無理にプログラミングを覚えるのをやめました。その代わり、若手リーダーからシステムの仕組みやデータの読み方を学び、デジタルの言葉で現場の声を伝えられるようになりながら、現場の「言葉にならない不安」を拾い上げ、システムの設計思想に反映させる「ITと現場のインターフェース」という新たな役割を自ら定義したのです。
観察の時間がもたらした3つの成果
- 「スキルの呪縛」からの解放
「ITができない自分」を責めるのではなく、「現場を熟知している自分」というオリジナリティーをどう IT と掛け合わせるか、というポジティブな視点に切り替わりました。 - 独自の「役割開発」
組織から与えられた「新人」という型を、自分の持ち味に合わせて「役割を変える(役割開発)」ことで、組織になくてはならない存在へと自分をアップデートしました。 - 対等なリスペクトの獲得
単に「教えを請う新人」から、現場の深い洞察を提供する「プロフェッショナルなパートナー」へと立ち位置が変わったことで、若手リーダーとの間にも真の信頼関係が芽生えました。

「すぐに行動を起こすのではなく、自分と役割の関係を捉え直す時間を取った。この『観察の時間』という布石があったからこそ、自分を消さずに、組織に最も貢献できる『自分らしい居場所』を見出すことができました。」
対話が導く「適応モード」
タナカさんのモヤモヤを解きほぐしたのは、こんなやり取りでした。

「タナカさん、今の状況をニコルソンの4つの適応モードで見ると、ご自身はどのモードにいると感じますか?」

「今のわたしは、必死に『吸収(自分を環境に染める)』しようとしていると感じます。でも、染まろうとすればするほど、自分らしさが消えていくようで苦しいんです。」
この対話を経て、タナカさんは「ただ従う新人」であることを一度やめました。一旦アクセルを緩め、あえて一歩引いて観察する時間を取ったことで、タナカさんは大切なことに気づきます。
- 気づき
若手のスピード感ある開発の裏で、現場の職人たちが「置き去り」にされているという、組織にとって致命的な違和感。 - 決断
「ITスキルだけで若手と競う」のではなく、現場の声を吸い上げ、デジタルの設計に反映させる「ITと現場のインターフェース(接点)」という独自の役割を自ら定義し、提案すること。
この気づきと決断は、ニコルソンの理論にあてはめると、新しい環境を学ぶ「自己変容」と、自分の持ち味で仕事のやり方を変える「役割開発」の双方が機能し始めたことを意味します。この適応モードこそが「探索(Exploration)」であり、その先には組織と個人が響き合う「共創」の世界が広がっていきました。
適応モードを「行動の問い」に変える
適応モードを整理する際、タナカさんはメタ認知を使って「思い込み」を外していきました。
- 一人称(当事者)
「私は新人なのだから、周りのやり方に合わせるしかない(=役割はそのまま受け入れるしかない)」 - 三人称(俯瞰者)
「タナカさんは、現場との橋渡しという、役割そのものを作り変える裁量を持っているのではないか?(=役割の発達の可能性)」
Take-Home Message
今回の「タナカさんの物語③」を通じて、手に入れた航海図は次の3つです。
- 「吸収」だけで終わらない航海図
新しい環境では、まず周囲に合わせる「吸収(Absorption)」が役に立つ場面もあります。ただ、タナカさんのように経験を活かす余地のある役割では、そこに留まり続けると自分を見失いかねません。「染まること」が適応のゴールではありません。 - 「探索」へ向かうための戦略的準備の航海図
自分を環境に合わせようと頑張り続けることを一時的に抑え、周囲を冷静に観察する時間は、決して停滞ではありません。組織の課題(ミッシングピース)と自分の持ち味(オリジナリティー)が交差するポイントを探り当て、自分も役割も変えていく「探索」へ向かうための、知的な助走期間です。 - 「役割開発」で自分らしい居場所を創る航海図
環境に100%自分を合わせるのではなく、自分の経験という「色」を活かして、仕事のやり方や役割を自ら再定義(役割開発)しましょう。そうすることで、周囲との関係は「教える・教わる」を超えた、対等なプロとしての「共創」へと進化します。
次回は、「キャリア理論10|<タナカさんの物語からの学び>」では、「新人おじさん」としての葛藤を乗り越え、自分らしい「インターフェース」という役割を見つけ出したタナカさん。彼を支えたのは、3人の巨匠たちが遺した知恵と、プロの伴走者による対話でした。
- ブリッジズが説いた「過去を手放す勇気」
- シュロスバーグが教えた「装備を点検する戦略」
- ニコルソンが導いた「役割を自ら創る技術」
バラバラに見えたこれらの航海図(理論)が、対話によってタナカさんの人生の「航海術」として結びつきました。最終回では、タナカさんの物語をともに、「転機という荒波を、あなただけのチャンスに変えるためのロードマップ」の作成に挑みます。

この記事を書いた人
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Waseda University in School of Human Sciences (e-school)
Human Informatics and Cognitive Sciences
Tokyo University Of Agriculture in Faculty of Bioindustry
Eli Lilly Japan K.K.
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Sales Operator
Waseda University Senior High School
Teaching Assistant (Information Technology)
Waseda University School of Human Sciences
Teaching Assistant (Collaborative Learning and the Learning Sciences)
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