偉人たちの人生に、次の一歩のヒントを
歴史人をキャリア理論で読み解く文学家・作詞家 横井 弘編 第3回
歴史に名を残した人々も、私たちと同じように悩み、迷い、そして選択しながら人生を歩んでいました。このシリーズでは、キャリア理論というレンズを通して、歴史人の人生を読み解きます。
過去の人物を知ることは、未来の自分を知ること。彼ら、彼女たちの生き方の中には、今を生きる私たちのキャリアや人生を考えるヒントが、数多く隠されています。

文学家・作詞家 横井 弘編
新たに読み解く歴史人は、全4回でお届けする「文学家・作詞家 横井弘」。
戦争によってすべてを焼かれ、帰る家さえ失った一人の青年が、なぜその焼け跡から『あざみの歌』をはじめとする数々の名作を生み出すことができたのでしょうか。
失ったからこそ見えたもの。遠回りだったからこそ辿り着けたもの。偶然を味方にしながら自分だけの道を切り拓いていったそのキャリアを、これから4回にわたって読み解いていきます。
本シリーズは、歴史人の生涯を、キャリア理論というレンズを通して見つめ直す試みです。人物の生き方や理論との結びつきについては、HCCジャパン合同会社による独自の視点と考察を含みます。
また本企画は、「偉人たちの人生に、次の一歩のヒントを」を掲げ、歴史人物や文学家の魅力を発信する「いらすとすてーしょん」とのコラボレーション企画としてお届けします。
いらすとすてーしょん「文学の部屋|横井 弘」 illuststation196.com第3回 五年越しの光揺るがなかった「言葉の人」という生き方
ヒットまでの五年間

横井 弘 Hiroshi Yokoi 東京都出身 1926-2015
@いらすとすてーしょん
『あざみの歌』が書かれたのは1946年。下諏訪での疎開生活の中で生まれたその詩は、後に国民的な愛唱歌となります。
しかし、その評価は決して一夜にして得られたものではありませんでした。作品が生まれてから、多くの人々に知られるまでには約五年の歳月が流れています。その間、横井弘はただ成功を待っていたわけではありません。東京へ戻り、キングレコードに勤務しながら作詞を学び、言葉と向き合い続けていました。やがて『あざみの歌』はラジオ歌謡として放送され、1951年、伊藤久男の歌唱によって全国へ広がります。
ここで、本当に注目したいのは、歌がヒットしたという事実そのものではありません。横井弘が、五年間という結果の見えない時間の中でも、言葉を書くことを決してやめなかったことです。その後も横井は、『哀愁列車』『おさらば東京』『川は流れる』『下町の太陽』など、数多くの名曲を世に送り出していきました。一つのヒットで終わらず、生涯を通じて言葉を書き続けた。そこに横井弘という人の本質があるのではないでしょうか。
では、なぜ彼はそれほど長く「言葉の人」であり続けることができたのでしょうか。第3回では、シャインの「キャリア・アンカー」を手がかりに、その理由を読み解いていきます。
背景の理論 シャインの「キャリア・アンカー」
キャリアを考えるとき、私たちはつい地位や収入、肩書といった外的な条件に目を向けがちです。しかし、アメリカの組織心理学者エドガー・シャイン(Edgar H. Schein)は、それだけでは人のキャリアの本質は説明できないと考えました。
シャインは、多くのビジネスパーソンへの調査を通して、人にはどんな状況になっても絶対に手放すことのできない価値観や動機があることを発見しました。これを「キャリア・アンカー」と呼びます。アンカーとは「錨(いかり)」のことです。船が荒波に流されないように海底へ下ろす錨のように、人にも人生の選択や決断を支える内面的な軸が存在するという考え方です。
仕事が変わっても
環境が変わっても
周囲の評価や時代の流行が変わっても
その人自身がもっとも大切にしている根本的な価値観は、簡単には揺らぎません。シャインは、この内面的な軸こそが、キャリアの長期的な方向性を決める最も重要な要素だと考えました。
シャインは、キャリア・アンカーには複数のタイプを提示しました。専門性を追求したい人、組織を率いたい人、安定を重視する人、社会への貢献を大切にする人など、その軸の現れ方は人によって異なります。では横井弘の場合、そのキャリア・アンカーはどこにあったのでしょうか。
横井弘とキャリア・アンカー
横井弘の人生を振り返ると、その軸(アンカー)は非常に明確に見えてきます。
戦争で家を失った。
敗戦を経験した。
疎開生活を送った。
やがて偶然の出会いによって歌謡界への道が開かれた。
彼の人生には数多くの激変がありました。しかし、その激動の中で一貫して変わらなかったものがあります。それは、「言葉を書く人でありたい」という強い思いです。
横井は下諏訪の湖畔で詩を書く。
無名だった5年間も書き続ける。
『あざみの歌』がヒットした後も書き続ける。
評価を得てもなお、真摯に言葉を磨き続ける。
横井弘を支えていたのは、「有名になりたい」「一発当てたい」という功名心だけではありませんでした。もっと根底にある、「言葉を書くことそのものに価値を感じていた」という思いだったのではないでしょうか。もし成功や脚光だけを求めていたなら、『あざみの歌』が世に出るまでの5年間を耐え抜くことは難しかったかもしれません。もし流行や利益だけを追いかけていたなら、数十年にわたって名曲を生み出し続けることもできなかったでしょう。
横井弘の人生には、時代や評価に左右されない一本の太い軸がありました。それこそが、彼のキャリア・アンカーだったのです。
Take Home Message
私たちはキャリアを考えるとき、「どんな職種に就くか」や「どれだけ成果を出せるか」といった表面的な結果に意識を向けがちです。
しかしシャインが教えてくれるのは、「自分は何を大切にして生きたいのか」「譲れない軸は何か」という内面的な問いの重要性です。環境は変化します。職場や立場が変わることもあります。人生が思い通りの計画通りに進まない時期もあるでしょう。それでも、自分の中に揺るがない錨(アンカー)があれば、人は迷いながらも流されることなく、自分の足で前へ進むことができます。
横井弘にとって、その軸は「言葉を書くこと」でした。
では、あなたにとってのキャリア・アンカーは何でしょうか。
その問いは、人生の大きな転機に立ったとき、あなたが進むべき方角をそっと示してくれるはずです。
次回は
私たちは横井弘を『あざみの歌』の作詞家として記憶しています。しかし、一人の人間の人生は、一つの仕事や一つの作品だけで語り尽くせるものではありません。
戦争を経験した青年。
詩を愛した文学青年。
昭和を代表する作詞家。
家族と人生を歩んだ生活者。
そして晩年まで言葉を愛し続けた一人の人間。
それらは別々に存在していたのではなく、一つの人生の中で美しく重なり合っていました。
次回、最終回「第4回 重なり合う人生」。
スーパーの「ライフ・スパン理論」を手がかりに、横井弘の88年の人生を振り返ります。
仕事だけでは語れないキャリアとは何か。人生は、一つの仕事や一つの成功だけでできているのではありません。横井弘の歩みを通して、さまざまな役割が重なり合いながら形づくられる「人生という作品」の姿を探っていきます。
この記事を書いた人
HCC Japan LLC
CEO
Waseda University in School of Human Sciences (e-school)
Human Informatics and Cognitive Sciences
Tokyo University Of Agriculture in Faculty of Bioindustry
Eli Lilly Japan K.K.
Sales & Marketing
Sales Manager
Sales Operator
Waseda University Senior High School
Teaching Assistant (Information Technology)
Waseda University School of Human Sciences
Teaching Assistant (Collaborative Learning and the Learning Sciences)
Certified
National Licensed Career Consultant, 25072525
Medical Management Specialist, Third Grade, 31310119010282